平成20年 新年所感
一昨年、九州のあるお寺の住職(記憶が確かであれば)の講話をビデオで見る機会がありました。その中で「初日の出に向かってお願い事をする人は沢山いるが、大晦日の夕日に向かって感謝する人は少ない」という話を聞き、その前後の話も相まって「う?ん」と納得の唸りをあげたことがあります。一昨年は、こんなことも頭の片隅におきながら大晦日を迎えたわけですが、片隅は片隅のことなのか結局雑事に追われて、その機会をやり過ごしてしまい、平成19年の新年を迎えました。
今年は、その徹を踏まないようにと、大晦日には頭の片隅でなく朝から念頭におきながら大晦日を過ごし、一年の感謝を申し上げ、平成20年の新年を新たな気持ちで迎えることができました。
自分なりに、節目節目にけじめを付けて行くことは、些細なことかも知れませんが大切なことだと思っています。
■本年のはじめに
私が、昨年から使い始めたダイアリーの始めには「本年のはじめに」というページがあります。
今年は、西郷隆盛が残した言葉としてまとめられた「南州翁遺訓」から2つを書き記しました。
遺訓21条
道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以って終始せよ、己に克つの極功は「意なし、必なし、固なし、我なし」と云えり。総じて人は己に克つを以ってなり、自らを愛するを以って敗るるぞ。
遺訓25条
人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くし人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ねるべし。
こうした心持ちで、今年一年の諸事に当たっていきたいと思っています。
■最近の世情を眺めて
昨年は、昭和女子大学学長の坂東眞理子氏の著書「女性の品格」が、230万部を売り上げるベストセラーになりました。
書名に「品格」の言葉を盛り込んだのは、品格が時とともに剥落しているからだ。「勝てば官軍」「稼ぐが勝ち」というような生き方は、品格の対極にある生き方といってよい。と氏はある冊子で語っていました。
近年、こうした品格だとか、しきたり、大儀などをテーマとしたものや、生き方を尋ねる哲学系の本が書店に平積みされています。
「家庭にあっては父親は子どもを恐れ、学校にあっては教師は生徒のご機嫌を取り、生徒は先生を軽蔑し、社会にあっては年長者は若い人から頭が固いとか、建前主義だとか言われるのを恐れて、冗談と軽口を叩いて一日を過ごしている」これは、2,400年程前プラトンが言った言葉ですが、2,400年の時を経て、今、私たちの周りにも同じような状況が起きており、道徳や倫理観などの規範の崩壊を憂いて、「今までは、まぁそれでも人それぞれだし」と口を噤んでいた人たちも「チョットここまでくると」と考え始めた人が多くいる現われかも知れません。
■これから
マハトガンジーは世の中の7つの大罪を次のように述べています。
一、原則なき政治
一、道徳なき商業
一、労働なき富
一、人格なき教育
一、倫理なき愉悦
一、犠牲なき宗教
日本には古くから数多くの神話が存在しますが、近代における日本にも3つの神話がありました。1つは、治安のよさは世界一。2つ目は、技術力は世界一。最後の3つ目は、資源のない国の最大の資源は人間だ。ということです。
21世紀初頭の世情を眺めてみると、多発する事件・事故は、いずれもこの神話をも覆すものばかりです。いつの時代にも事件・事故がないわけではありませんが、このところの出来事は、どれも信じがたい様相を秘めております。
評論はいくら重ねても評論の域を出ない性質を持っています。あれこれ悪者をつくるのは簡単であるし、その方が楽な生き方かも知れません。しかし、このままでいいと思っている人ばかりではないと思います。「よく胸に手を当てて考え見ろ」とは、昔いろいろな人に叱られながら覚えた言葉です。
「人に指す指を自分に向けろ」こうしたことを熱く語ってくれる知り合いの方がいます。
当たり前のことこそ難しく、その当たり前のことが出来ていないと指摘されることは、愉快な話ではありません。しかし、そこが肝腎であることは間違いないようです。
「一切感謝」これもダイアリーの「本年のはじめに」というページに書き記した言葉です。
性分の本然、職分の当然を尽くして、今年一年を踏ん張っていきたいと思います。