「物の見方・考え方」 其の一
「物の見方・考え方」について、最近いろいろと思いを馳せるようになりました。物の見方・考え方はそれぞれですが、ある事柄に対して一部分しか見ない人もいれば、180度見渡すことができる人もいますし、更には360度、前後左右、はたまた上下に至るまでの視点や感性を持って事を処する人がいます。自分も42才を迎え、新ためて「物の見方・考え方」といったものを磨き成長させなくては成らないと考えています。
例えば、光は赤・橙・黄・緑・青・藍・紫という七色によってよく表現されます。当たり前の話ですが、光はこの七色の色閾の間には無限の色合いがあり、赤外線・紫外線となれば更に領域は広がってきます。氷山の一角という言葉もありますが、その下には約八倍の氷が隠れているといいます。物事には、顕在化しているものと潜在化しているものとがあり、深い洞察力をもって物事を見る必要があります。
こんなことを考えると「年季」というものは、物事を見るのに非常に大切な要素であると思います。最近、世間を大きく騒がせた「メール問題」等は、象徴的な出来事です。仕事においても会計士をやられている方に話を聞くと経験上おかしな数字は目に付くといいますし、大工さんは、使う木がどう反るかを考えながら仕事をするといいます。仕事や学術・芸術・芸能等いろいろな分野で、この年季経験を「深める」。つまり、確かな経験を積むということは「物の見方・考え方」を磨くことに繋がると思います。
政治の最も本質的なものは政道であり、これを活用し具体化するのが政略、具体化した事務を行うのが政策だといいます。つまり、政道に基づいて、政略を以って、政策を決定していくことが重要であり、政治家に政道がないと政略が立たず、いきなり政策に突入することになります。政策事務の専門は官僚であり役人であるため、政治家がそれに及んでいないという指摘があります。政道とは、その人の人生観や社会観から出発するもので、それには自身の「物の見方・考え方」を磨いていくことが重要です。
ともすると、人は自分のやっている事に魅惑され、実力以上の力を過信してしまうところがあり失敗を生むことがあるようです。チャレンジ精神は、否定するするものではありませんが、自らを省みることは大切です。先日、ある方に苦言を頂いたのですが、苦言というのは本音を言えば聞いている時は余り愉快な気持ちになるものではありません。しかし、じっくり言葉を噛みしめると、実に温かい思いやりを感じることもあり、有難い事だと思いました。自分の業の修め方、お坊さんではありませんが、自分の「修業」の足らなさを反省したところであります。