時勢を見つめる

繁栄の中の没落

アメリカではある時期、リップマン等の識者達が「国民に対する警告」として、痛烈な社会批判を放ちその中で「繁栄の中に没落する」という有名な言葉を提起したといいます。現代の世情を眺めて見るとこの言葉の意図する警鐘を深く考える必要があると考えています。

かつて、ある駐日ドイツ大使が日本を去る時に、日本の復興振りや経済の繁栄を見て、「正直なところ我が西ドイツ以上に思われる」と賛美した後、「しかし、我が西ドイツは、ドイツの歴史伝統の上に繁栄を築こうと努力している」と言ったそうです。

司馬遼太郎氏は「峠」という小説の後記ではこんなことを記しています。「人はどう行動すれば美しいか。ということを考えるのが、江戸末期の武士道倫理であった。人はどう思考し、行動すれば公益のためになるのかということを考えるのが、江戸期の儒教であった。明治以降、大正、昭和とカッコ悪い日本人が自分のカッコ悪さに自己嫌悪を持つとき、かつての日本人が"サムライ精神”というものを生みだしたことを考えて、かろうじて自信と誇りを回復しようとしたのである」と。

歴史的に見て、いわゆる体制が崩壊する理由は、資源がないとか、産業が振るわないといった経済の悪化によるものではなく、国や民族の道徳的頽廃つまり治安やそれを下支えする精神文化の崩壊が要因であると様々人が指摘をしています。

日本も経済的繁栄と自由を謳歌する中で、いつの間にか放縦で不道徳の国、非道の国に染まりつつあるのかもしれません。このところの事件・事故をみるにつけ、酷いというより「非道い」という感がしています。

昨今、人の道徳観・倫理観が新ためて問われているのは、拝金主義や利己主義、刹那主義がもたらす、社会への悪影響を懸念してのことだと思います。

荀悦の四患・五政の論

三国志の後漢の末期に登場する「荀悦」が解いた教えに「四患・五政の論」というものがあります。そこで、荀悦は「偽は俗を乱り、私は法を壊(やぶ)り、放は軌を超え、奢は制を破る」として、国家には「四患」→「偽」「私」「放」「奢(しゃ)」の四つの患いがあり、この四つが揃うと国が滅びると解いています。

「偽は俗を乱り」、正に「ウソ」は世間を混乱させる元でもあります。「偽」という字は、「人が為す」と書きます。人為が過ぎると偽りなるようです。

「私は法を壊(やぶ)り」、私利私欲が過ぎると法を犯してまでも自分の手に入れようとするようです。私いう字の「禾」偏は財貨を表し、旁の「ム」は、ひん曲がっているという曲事を形容した文字で、財貨を自分の都合のよいように用いるという意味で、その反対は、ひん曲がったムを八→ただす、ひらく、としたものが「公」という字だそうです。

「放は軌を超え」、放は放埓の放で、それが「軌(ルール)」を超えるというこで、無軌道になるということです。

「奢は制を破る」、人間の私心・私欲には自ら掟がなければなりませんが、それがでたらめになってしまうということだそうです。

温故知新

古の教えには現代に通じる普遍的な真理が隠されている思います。当たり前といえば当たり前のことですが、変わり者といわれなければ、当たり前の人ではないような時代に、当たり前の教えを繋ぎ実践することが大事なことだと考えています。