教育行政を考える 其の一
教育行政の沿革
戦前は,教育に関する事務は国の専任事項とされ、地方では、府県知事と市町村長が国の教育事務を執行することとされいました。そして、小・中学校の教員については府県知事が任命し、小・中学校の管理は市町村長が行っていました。
戦後は、敗戦から2年後の1947年(昭和22年)日本国憲法が施行され、ほぼ同時に教育基本法も施行されました。教育基本法では、GHQによる占領改革の一環として、教育の理念を民主化、分権化、専門化に求めることが規定され、翌年1948年(昭和23年)教育委員会の組織や権限などを定める教育委員会法が施行されました。この教育委員会制度は、アメリカ教育使節団の報告や教育刷新委員会の提言に基づいた制度で、昭和27年11月までには、全国の都道府県とすべての市町村で設置が完了しました。戦後の教育行政は、この2つの法律により考え方や活動・制度が制定されスタートしたといえます。
戦後の教育行政
戦後導入された教育委員会制度は、数次にわたり改正が行われ現行制度に至っていわけですが、まず、制度の沿革を整理してみたいと思います。
当時の教育委員会制度は、公正な民意による教育行政の運営、地方の実情に即した運営、教育への不当な支配の排除を理念としていました。そして委員は選挙によって選ばれ、教育事務に関する予算案・条例案は、教育委員会が原案を作成し、地方公共団体の長が議会に提出していました。その際、地方公共団体の長が原案を減額・修正したときは、減額・修正に対する教育委員会の意見と原案を附記して議会に提出するという「二本建制度」が設けられていました。
しかし、制度導入後に教育委員会制度の弊害も指摘されるようになりました。主なものの1つに、小規模自治体における教育委員会の事務局は専門的な能力を発揮できないという点。2つに、教育委員の公選を通じ教育委員会に政治的対立が持ち込まれ、教育委員ポストが地方のもう1つの政治職として首長や地方議員と争うという構図が生じ、かなり激しく政治化した地域もでてきたという点等があげられます。このため、政治的中立性の確保と一般行政との調和の実現を目的として、1956年(昭和31年)教育委員会法は廃案とされ、新たに「地方教育行政の組織及び運営に関する法律(地教行法)」が制定されることとなりました。
地教行法と教育行政
地教行法の制定による教育委員会制度改革は、委員の選出制度を公選制から任命制に変え、首長が議会の同意を得て任命することとされました。また、適任者を確保するという観点から、都道府県の教育長については文部大臣の、市町村の教育長については都道府県教育委員会の承認を必要とする任命承認制度が導入されました。
新しく制定された地教行法は、教育委員会法の諸原則をできるだけ踏まえる姿勢をとったと説明されましたが、当時の教育行政の枠組みを大きく変えたといわれています。
地方分権改革と地方教育行政
これまでは、教育行政における文部省と教育委員会の関係は、一般の行政の領域と比べて中央の関与や統制の意味合いが強いと指摘されていました。それは、地方自治法に対する特例的な規定を内容を持つ「地方教育行政の組織及び運営に関する法律(地教行法)」という法律の存在があったからです。特にその特例的規定として問題とされてきたのは、「教育長の任命承認制」「文部大臣による是正改善措置要求の特例」「指導助言規定」であります。これについては、地方分権推進会議や中央教育審議会においても議論をされてきたところであります。
そして、中央教育審議会の答申を受け、任命承認制度の廃止、都道府県や市町村への指導に関する規定の改正、都道府県による市町村立学校の管理についての基準設定が廃止という地教行法が改正が平成11年に行われたところであります。
平成12年の教育改革国民会議の報告においは,教育委員会の活性化に関する提言がなされ、この提言を受け、教育委員の人選に当たっては、年齢、性別、職業等に著しい偏りが生じないよう配慮するとともに、教育委員に保護者を含めるよう努めることが規定されました。また、会議を原則として公開することや、住民の苦情等に対する相談窓口の設置も義務付けられるようになりました。
これから
幕藩体制から明治維新、そして戦後改革はいずれも政治や経済の力を中央に結集させる、いわゆる中央集権によって達成されたといわれます。しかし、情勢や社会構造の変化に伴う課題を乗り越えていく上でも改革・改善の試みは続けていく必要があります。
私たちが社会生活を営む上で、その大きな責任の1つとして「教育」があげられます。右肩上がりの経済成長の時代が終焉し、また新たな緩やかな成長を迎えるに当たり、成熟社会の有り様が様々な分野で課題を投げかけているようです。経済的には国際社会の重要な役割を果たしているものの、心の豊かさや地域社会の豊かさを実感しているかといえば疑問符が浮かぶのも現実だと思います。地域の中で子供たちが心豊かな人として成長できるよう、地域が人を育むという視点に立って、さまざまな可能性を引き出しうるような教育・学習システムの確立が大切だと考えています。そこで、それを支える地域における教育行政という視点からも教育の在り方を考えることも必要だと思います。
教育委員会制度は、様々な改正を経て現在の制度となりましたが、制度改正に伴い各地域で試行錯誤の新たな取組も始まっています。そして、制度発足から半世紀以上が経過する中で、教育委員会制度の意義や果たすべき役割について、改めて議論が必要ではないかとの指摘がなされています。
このため,教育委員会制度の今日における意義・役割について、教育に求められる要件、更には、それを実現するために教育行政に求められるものやその可能性を我々の地域の中からも検討する必要があります。