60年という節目

人の生活のサイクルの最小単位が「1日」で、もう少し大きなサイクルが「1年」で、1年よりさらに大きなサイクルが「60年」であり、人の生活や人生、歴史において大切な節目である。という話を聞きました。なるほどと思う事もありましたので、ここに書き記して置きたいと思います。

まず、私達の人生の中で「還暦」という言葉があります。還暦は60歳で迎えます。年の数え方として「十干十二支」というものがあるそうです。

十二支といえば、ご存知のように「子、丑、寅、兎・・・」というもので、十干は、「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、葵」というもだそうです。「十干十二支(十支)」とは、十干と十二支の組み合わせで、その年を表すものだそうです。思い出したのが、よく耳にする第2次ベビーブームの「丙午」という言葉です。この十干と十二支を順番に組み合わせると、丁度60年で一巡する勘定となり、この数え方でいうと今年は「乙酉」だということです。

この「還暦」、60年のサイクルの一巡を「本卦帰り」というそうで、本卦帰りの「卦(け)」は、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と使われています。私達の先人は、この60年という歳月が、人や社会のサイクルだと経験的に感じ取っていたのかも知れません。

今年は、戦後60年の節目の年であります。1945年(昭和20年)、広島や長崎を初め全国の主要都市は原爆や爆撃により壊滅状態となり日本は敗戦をしました。廃墟になった国土にたたずみながらも、新たな国づくりを始めた年でもあります。

そこで、さらに60年前、そのまた60年前を振り返ると、歴史的な大きなサイクルを感じる事ができます。19世紀になると、当時、世界中を植民地にしつつあった、イギリスやアメリカの船が日本に近づくようになったので、幕府は、欧米列強から自国を守るために、1825年「外国船打払令」を出しました。

その後の60年間は日本にとって多難な時代でありました。天保の大飢饉が全国を襲い、多くの餓死者を出しました。外からは欧米列強の進出が続き、1853年には、日米和親条約を結び、今まで閉ざしていた港を開港することとなりました。さらに1858年には日米修好通商条約を結び、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同様の条約を結び、各国と自由な貿易を行なう事としました。しかし、これらの条約は日本にとって不利で不平等な内容を含んだものであり、日本の社会は大きな混乱に突入していきます。そこで、新たな国の建て直しに帆走する若き獅子達が「明治維新」という大転換を図りました。新たに誕生した政府は、欧米列強に対抗するため「富国強兵」政策を押し進めていくことになります。江戸時代という太平の眠りから大変革を遂げた60年といえるでしょう。

1825年から60年経った、1985年(明治18年)は、立憲政治の開始に備えて、内閣制度が創設され伊藤博文が初代の内閣総理大臣に就任した年です。そして、1889年2月11日、大日本帝国憲法が発布されました。この後の60年といえば、軍事的防御から軍事的冒険の時代へと突き進んで行きます。日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦、シベリア出兵、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と。鎌倉時代の蒙古襲来と秀吉の朝鮮出兵を除けば、日本が経験した対外戦争の全てがこの60年の間に起こっています。そして60年目の1945年、日本は壊滅的な状態で敗戦しました。

そして、今年2005年は戦後60年目に当たり、今一度この60年間の日本の歩みを振り返る必要があると各方面からの指摘があります。60年という歴史のサイクルが一巡した年であり、この60年間に何を求め何を夢見てきたのか、大切な自分達の歩みを「立ち返る」ことが大切だというお話でした。