H13・10・20に思ったこと
13年程前になりますが北朝鮮へ行ったことがある。ソウルオリンピックの翌年で「世界学生祭典」が開催され、板門店を韓国の女学生が旗を持って一人で北朝鮮に渡り話題になった時です。日本においても各種団体より青年代表団が組織され、これに参加することとなり、日本青年団協議会も話し合いに加わっており、偶然私のところにもこの話が飛び込んできたので、普通では渡航することができない国でもあるため思い切って参加してみました。そのときに「なにかあっても責任は終えない」との旅の説明をうけたことを記憶しています。新潟から旧ソ連(ハバロスク)に渡り北朝鮮へ、空港に降り立ったときパスポートの提示は不要とのこと、名簿等でメンバーを確認し入国をしました(国交が無いので当たり前といえば当たり前ですが)それまでにも海外に行ったことは、何回かありましたが、そのときマジマジとパスポートを眺めてみました。
パスポートにはこのような記載があります。「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係所管に要請する」日本国外務大臣当時あまり深く物事を考えていなかった私もその時「ハット」したのを覚えています。
国際エコノミストの長谷川慶太郎氏の著書「人権頭脳を持っているか」の中で、氏は「21世紀は、国民が国家を見捨てる時代だ」と述べています。また「21世紀の世界が大きく変わることは間違いないし、その大原則も明らかだが、具体的問題は今後も数限りなく出てくる。そういうことがなくなるなんてことは絶対にない。変化は無限に続くし、その変化は、世界中で一律に起こるものじゃない。国ごとにも、民族ごとにも、領域ごとにも違う。だからまず国ごとに対応し、国家を基盤ににして世界的に対応する。やはり国家という存在を揺るがせには出来ない。国家が不要、あるいはなくなって、人間が、国家抜きで、いきなり世界に直面するということにはならない。安定した世界秩序維持には、やはり国家の存在が不可欠だ。現在の国家を基盤にして、世界秩序を築くしかない。しかし、国家を基盤とした世界秩序というものは、これまでの長い歴史を引きずっているものだから、新しい原則が明らかになったと言っても、まだ強い抵抗がある。国家間の対立も、イデオロギーの対立も残っている。21世紀の国際秩序のあるべき姿を、完全自由に議論する条件はまだない。・・・」とも述べている。
私たちの国は、主権在民を唱えた民主主義国家です。国家のありようは国民のありようであるはずです。
私自身偉そうをを言える資格はないかもしれないが、このところ人や国のありようといったものが、溶解していきいるような感じがしています。ここ10年を振り返ってみると世の中ではいろんなことが起こりました。神戸の大震災、オウムによる地下鉄サリン事件、ペルー大使公邸占拠事件、金融不祥事及び破綻、山陽新幹線のトンネルのコンクリートは崩壊するし、H2ロケットは打ち上げ失敗、きわめつけは東海村のウランをバケツで注入した臨界事故、サカキバラ事件、和歌山カレー殺人、次々起こる保険金殺人、親による子供の虐待・殺人、連続して起きた十七歳の殺人、そしてそれらを取り締まるべき警察での不祥事の連続、組織ぐるみで署員の覚せい剤使用を隠ぺいした事件が発覚したため、導入された特別監察制度にのっとって新潟へ監察に行った丁度その時、9年2カ月も監禁されていた少女が発見されたいうのに、責任者は温泉で接待マージャンをしていたといいます。警察がおかしいと思っていたら、外務省の不祥事、また官僚がと思ったら自治労まで、えひめ丸の衝突事故、もろもろ・・・・
いつの時代も変わった人はいるし、事件も起こる、しかし、ここ数年起こる事件は、
どれも信じがたい様相をひめています。一体この国は、どうなってしまったのかと思わざるを得ない状況です。
ジャーナリストの桜井よしこ氏の著書に書かれてあったことですが、1976年、旧ソ連のベレンコ中尉が、ミグ25戦闘機で函館空港に強制着陸した後、亡命先のアメリカでこう語ったといわれています。「着陸後、極度に緊張して操縦席から様子を窺っていると、日本人が近づいてきたが、この日本人は白旗を揚げた。」それを見たベレンコは思わず笑ったいう。本来なら、白旗で投降の意を示さなければならないのは、領空侵犯の末に、領土に強行着陸したベレンコであるはずです。摩擦を恐れ、責められることを恐れ、問題を問題として捉えることも恐れるようになってしまった。人間関係も社会の運営も、筋をとおすとか、社会正義に近づく努力よりも、軋轢を起こさないことを第1とする本末転倒な基調が日常生活にも深く浸透してきていると感じる。
私たちは、穏やかに大人しく文化的になったと理解すべきか、そこが大きな問題だと考える今日この頃です。