「昭和を見つめる」其の二
本と中国の関係は、昭和という時代に幾度となく揺れ動くが、その始まりの象徴ともいうべき出来事は、第一次山東出兵と張作霖爆死事件であろう。
日本は、日露戦争の勝利により得た満州の権益をいかなることがあっても守ると決めており、日本軍の精鋭部隊である関東軍を駐留させていた。
昭和2年蒋介石が国民党を率いて国民党政府をつくり、全国統一を目指した。国民党軍が華北を制圧しつつあり、満州一帯をもうかがう情勢の中、田中内閣は山東省に居留する日本人の保護を名目に山東省への出兵を行った。
当時、張作霖は満州と北京を手中にしており、国民党軍とは対立する関係にあった。関東軍は、国民党軍と対抗する張作霖を表に立てて満州の権益を守ろうとしていた。しかし、張作霖としては日本軍が満州に軍隊を派遣して戦闘行為にのりだすことに中国人の反発が強く、簡単に加担する状況ではなかった。
張作霖爆殺は、関東軍の謀略行動であった。明治27年、28年の日清戦争、明治37年、38年の日露戦争の局面でも謀略じみた行動がなかったわけではないが、国際法上はなんら問題はないと英国の国際法学者などが認めていた。日清戦争、日露戦争では、日本軍兵士の規律は保たれいたというし、必要以上の戦闘行為は決して行わなかった。日本軍はサムライ精神(フェア)があると、外国のジャーナリスト達は報道しているほどであった。
日本軍の謀略を隠し続けた軍人や政治家はおおいに批判されるべきだが、その時代に生きた全ての人を一律に批判するのはどうかと思う。歴史にはそれぞれの主張があり、その主張によりいくつもの出来事が刻まれてきた。歴史の裏と表、側面もある。ある一面を端的に見ることは歴史を誤ることになると思う。