「和を以って貴しと為す」其の二

大戦の敗北を境にして「戦後教育の憲法」とよばれた教育基本法が施行され57年が過ぎようとしています。この教育基本法の前文と続く第1条はこう書かれています。
(前文)われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。
(第1条)教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
この中で強調されている事柄は、個人の尊厳と個人の価値です。改めて今日の世相、風潮を眺めてみると「自分」「個人」「個性」の花盛りであり、また、この個人主義の全盛をチョット社会全体が持て余し気味になっている感もします。
公や私を考える時、個人と社会を敵対する相手とみなし、一方を正、一方を悪と決め付けたような論調になりがちですが、どちらかが絶対ということはありえないと思います。「社会を絶対優先」と考える人は、全体主義がもたらす呪縛に陥るだろうし、「個人が絶対優先」と考える人は、無政府主義や自分勝手なわがままが生み出す無秩序に悩まされるだろう。個人と社会の関係が調和を欠いたとき、社会は混乱に向かっていくのだろうと思う。
現在の日本のマスコミや世相や風潮を見ていると、とにかく「悪口」が多い。日本人ぐらい日本の悪口を言う国もないのではと思う事がある。不祥事が起きたときに「省みる」ことは確かに大切なことだと思いますが、どうもそれとは質を異にしている言動も少なくないと感じます。