なぜ日本人は日本を愛せないのか

「なぜ日本人は日本を愛せないのか」この題名がふと私の目に飛び込んできた。ある本屋さんでの出来事である。私が「あなたは日本を愛していますか?」と聞かれたら、素直に「愛しています」と答えるだろう。興味深く読んだ本でもありここで一部を紹介したいと思います。

「なぜ日本人は日本を愛せないのか」こんなタイトルの本がある。オランダのアムステルダム大学の教授「カレル・ヴァン・ウォルフレン」が書いた本である。

日本人の多くは自国を素直に愛することができない、日本を愛するのが難しいのは、日本国民が歴史をもたないという事実と関係している。もちろん日本にも過去はある。この世のすべてに過去があるように。だが日本には、自国の過去の信ずるにたる説明、という意味での歴史は存在しない。ここでのキーワードは「信ずるにたる」である。多くの日本人が、自国について聞かされている話の全体を信じがたいと思っている。日本と日本人の関係は、矛盾のかたまりとなっている。この国ほど「愛憎の併存」がはっきりみてとれる国は、私の知る限りほかにはない。多くの日本人は、自国に対する不信感を心に抱いている。日本人は、不快感と混じり合った、大きな無力感を抱え込んでいるように見える。この状況を打破する道は無い、というのがいまの支配的な空気である。

自国を愛することは国家主義的であることと同じではない。私はオランダを愛している。だが、私は国家主義者ではない。言葉の違いは、われわれの人生を大きく左右する。言葉を取り違え、術語を無頓着に用いる悪習は、いずれ政治的に悲惨な事態を招きかねない。国家主義と愛国心の区別は決定的に重要である。前者はたいがい不健全であるのに対し、後者は、成熟した政治観や謙抑と完全に両立するのみならず、それらに不可欠なものとさえ言える。愛国心の欠如は、国の過去を心理学的に解決しきれていない事実から説明できる。日本がアジアで戦争を行ったことが、今日、愛国心という概念に大きな警戒心を起こさせるもととなっている。日本国民はもっと愛国心をもつべきだ、と聞いたら、非常に多くの人が震え上がるだろう。不幸な連想によって、日本人は、日本の現状を改善するなんらかの行動を起こすために、愛国心に訴えるという一つの手段を奪われてしまっている。

実際問題としては、愛国心と国家主義を区別するのはたしかに難しいと言える。人々が怒りで度を失い、憂さ晴らしに外部の人間を必要とするようになると、愛国心も国家主義に堕してしまうからだ。愛国心が曲者であるのは、ほとんどいずこでも同じだ。この民衆の健全な感情は、不健全な権力の獲得とか維持とかのおのれの目的のために利用しようとする野心的な人物、狂言的な集団によって食い物にされかねない。

愛国心に関する概念の混乱は、政治上の「右翼」と「左翼」という区別によって、この国にしょいこませてきた。