変える勇気と変えない誇り 其の二
自ら省みる事
「教訓」という言葉がありますが、最近においては極めて形式な言葉となってしまって、これを生かすといった気概は薄れてしまったような気がする。様々な事件・事故に対しても、現象ばかりを追いかけて大騒ぎをするが、本質的な議論は希薄でそこからの教訓を学びとれないでいると思う。
政治の末席に携わる者の1人として、これは大きな問題だと思う。何かが起きたときどのようにすべきか、危機管理という言葉も良く使われるが、本当にそれが危機であるという認識は低いと感じる事がある。
国レベルの大きな問題から、地域に関わる身近な問題にしても「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」ではないが、本質的議論をけじめを付けて1つ1つキチンとやっていくといった姿勢が、やっているのかもしれないが強くは感じ取れない。
大切な事は現実に起こっている事柄、また起ころうとしている事柄の情報知識をその都度しっかりと分析し一定の結論付けをしていくことだろうと思う。
言葉と実践
言葉とパフォーマンスは“一陣の突風”を吹かせるが、それだけではいけないと思う。政治的パフォーマンスを否定するつもりはないが、浮ついた言葉だけの中身のないものは政治とは言えないだろう。掛け声よりも結果に責任を持つ姿勢が大切で、地に足をつけた真実味のある行動が必要だ。
地方政治には、政治、行政、地域、団体組織などさまざまな利害が、実に身近にしかも目に見える形で存在する。利害というと嫌らしく聞こえるが本当にいろいろな利害の形がある。住民が受けるサービスと負担の割合も利害だし、いままでに流してきた汗といったものも利害に含まれることがある。
これらの中には、ちょっとした表現力やパフォーマンスで体質と構造を変えられるほど簡単ではない、場合によっては、それこそ自らが消し飛んでしまうような覚悟とエネルギーを必要とするものもある。うまくいかないと「みんなの意識が低いから」と逃げ口上を言ってしまいそうだが、これは慎まなくてはならないと思う。そのためには自らが実践し力量をつけていくしかない。