「理解」と「誤解」

「誤解」という言葉がありますが、この「誤解」も考えてみるとおもしろいと思います。ドイツのヴァルザーという作家が語ったことに、こんなことがあります。

「誤解の可能性というものは存在しない、つまり個々人に独自の理解があると言うことです。一般論として如何なる理解も誤解ではないと私は思うのです。彼の理解と私の理解は違います。それは誤解ではありません。講演や論文、聖書についてもです。私はいつも言っています。読者は私の本を読んでいるのではない。あなたの本を読んでいるのだと。私はテキストを提供するにしか過ぎません。読者はそれを材料に著作するのです。・・・作家は自分を語り、人々がそれをどう理解するのかは彼らにゆだねるのです。」

私も少なからず人に対してメッセージを発します。意味深い言葉として受けとめた言葉でした。