これからの地域社会を考えるP-1
2000年4月、地方分権一括法案(475本の法律の一括改正)が施行され分権型社会は、起動しはじめました。これを「明治維新」「戦後改革」に続く「第3の改革」と呼ぶ人も多い。地方分権推進委員会は、その政治的意義を中央政府と地方政府の関係が上下・主従から対等・協力に変えたと表現しました。キワードは地域の「自主・自立・自己責任」と「本格自治の実践・成熟」そして「共に責任を担う民主主義」だと考えています。
現代社会は、政治、行政、企業、銀行、警察、教育現場などあらゆるモラルが低下し、権威の崩壊をまねき、それぞれのアイデンティティーさえ危うくなったと評されています。現代社会が発する様々な警鐘に対して、自らの意思をもって改革・改善の具体的行動を起こす、大切な時を迎えていることは間違いないようです。
「地方分権社会の到来」が漠然としながも少しづつ本性を見せ始めてきました。特に地方行財政にかかわる変化は如実にそれを示しています。しかし、「そんな、数字の事ばっかいったてわかりゃへんじゃん」というように、なかなか理解しがたいものであるというのも事実です。現時点での地方分権は「官々分権」だとも揶揄されるように、矢継ぎ早に様々な改革提案は出されますが、市町村や住民にとっては、よくわからない盛り上がりのないものになっています。
しかし、「国から義務付けされている事業には、地方交付税などの財源保障があるから、それ以外を節約すればどうだ」などとのん気にかまえてもいられないと感じています。議会や行政も施策を執行する場合において、財源や手法を管理していくような「行政管理」から「行政経営」へと発想や手法の転換を図る必要を感じています。
右肩上がりの経済情勢が続いている時は、「あれは〇〇が言ったから出来た・やれた」などの言葉に象徴されるように、供給優先型行政で進める事も可能でしたが、これからはそうもいきそうにありません。
地方行政がつかさどる役割は住民のホンとに身近なところで発生しています。これらに対し、できるだけニーズの発生点の近くで、しかも、すばやい対応が望まれています。
そこで、日常生活の身の回りで発生する問題は、まずは個人や家庭が解決し、個人や家庭で解決出来ない問題はコミュニティで解決し、コミュニティで解決不可能な問題は市町村行政が解決するという、いわゆる「補完性の原理」を21世紀の地方自治システムの基本原則として確立することの必要性が指摘されています。
今後は、地域コミュニティーの立て直しにも充分な配慮していかなければ、困った時の〇〇頼みの頼みの綱が切れてしまうような、危機感も感じているところです。
我が郷土は人と人が繊細なハーモニーを奏でる心豊なまちにしたいものです。