21世紀の人づくりについて
現在、青少年を取り巻く教育環境は、「家庭教育」「学校教育」「社会教育」を含め大きな転換期を迎えています。従来は、教育に関する重要な改革は、基本的には中央教育審議会をはじめとする教育関係の各審議会で審議・答申されていたものが、臨時教育審議会を契機に、総理大臣の諮問機関や経済団体からも多くの改革プランが示されています。「21世紀の青少年の育成はどの様にあるべきか」という観点に立ち、なにが必要かつ適正なものなのか、充分な議論の必要性を強く感じています。
21世紀を迎えて教育改革は急ピッチで進められ、中等教育学校設置に向けて教育基本法が改正され、また、2002年からの学校週5日制の完全実施に伴う、授業時間・教育内容の削減や「総合的な学習の時間」の導入を柱とした、新学習指導要綱が実施されました。しかし、学校の教育現場においてそれらの取り組みは試行錯誤の連続の状態にあると言えるのではないでしょうか。
また、家庭や地域においては、都市化・核家族化・少子化の中では、従来のような多様な人間関係を持つ生活をすること自体が困難となり、家庭や地域での教育機能が低下しているという現象が顕著になっても、それを回復する手だてをうまく見い出せないでいるような感じがしています。
いつの時代であっても青少年の育成は、社会が存続・発展していく上で、重要なテーマであると考えます。取り分け、現在私達が直面している少子化社会においては、次代の担い手として青少年に寄せられる期待もおのずと大きくならざるを得ません。地域に生きがいと人生の見通しを確立する青少年がいなくては、将来に向けての地域づくりの主体形成はままならないと考えています。この様な中で、わが町においてもしっかりとした視点を基に、より多くの人が関心をもって課題に取り組むことが重要だと考えます。
青少年の育成を考えるに際して、青少年自身の自覚、努力や研鑽が重要であることは論を待ちませんが、青少年をめぐる問題は、大人自身の在り方が問われている問題でもあると考えています。まず、次代を担う青少年の育成は社会全体の責務であり、青少年を地域社会から育んでいくという観点に立ち、家庭・学校・職域等を包括する地域社会での教育力・育成機能の向上を図ることを視点として、地域社会を構成するそれぞれの人達が自らの役割と責務を自覚し、それぞれに「開かれた関係」を作り上げていくことが大切であると考えます。そこで、生活や教育・地域の在り方をとらえかえし、家庭や学校・地域においての人間関係や協力的な役割分担を再構築していく必要を感じるところであります。
地域における役割分担の基本的な考え方は、子供の人格に関わる基本的な部分は親の責務であり、子供が社会人となっていく、基礎的な知識を習得させるのは学校の責務であることを確認しながら、家庭や学校では担いきれない部分を地域社会が積極的に担っていくべきだと考えます。家庭・学校・地域が子供達の育成に関して、バランスよく補い合って機能していくことが重要であり、その為にも、しっかりとした話し合いの機会やそれぞれに学び合える機会をつくることがまず必要ではないでしょうか。
次に、地域エリアについての考え方ですが、小学一年生からお年寄りまでが歩いて行ける範囲であり、日常の生活圏ともおおむね一致することやPTAや老人クラブ・消防団・お祭りなど従来から一定のコミニュテイーが形成されていることを考慮すると小学校区を基本単位とし、補いきれない部分に関しては、中学校区・町全体へとエリアを拡大していくという観点で進めてはと考えます。今後、施設整備においては老朽化に伴う改修工事も進められていくようですが、コミニュテイー形成の中核と成りうるようなコンセプトをもって進めていければと考えますし、将来的なまちづくりの構想にあたっては、教育・福祉・防災・スポーツなど多機能的な要素をもった複合施設へ向けての整備が必要と考えます。少子化・核家族・一人暮らし等の家庭的課題であっても、自分の家には子供はなくても地域にはいる、一人っ子であっても地域には兄弟・姉妹がいる、青年も壮年もお年寄りも地域には必ずいるはずです。その中で様々な出会いやふれ合い・分かち合いがもてる交流が図れるとしたら、人間関係までも効率化をしてきた中での社会問題の対策にもつながるのではないかと考えます。人間関係づくりは素晴らしい面を持つ反面、わずらわしさやめんどくささも合わせ持っております。しかし、人間社会の中でそうした生きにくさを学ぶ姿勢も大切だと考えます。
家庭教育に関する考え方として、家庭の小規模化や孤立化によって、家庭の教育力の低下が指摘されています。本町においては、各種の取り組みがされておりますが、若い親やこれから親になろうとする人達に、子供の精神的・身体的発達について系統的に学べる機会を創設してはと考えます。また、自発的に活動を進める子育てサークルに対しての広報活動や情報提供などの支援も充実させていく必要があると考えます。親自身が子育てに不安や悩みを抱えている昨今です。不安や悩みを抱える親たちが孤立化することなく、気軽に相集える環境整備の必要があると考えます。
学校教育に関する考え方として、基本的には「開かれた学校」づくりを推進していく必要を感じています。学校は、歴史的に見ても社会が、その必要性に応じて作り上げてきた教育機関であり、「地域社会の中で、子供達をどう育成するのか」という観点において、地域コミニュテイーの中の様々な教育活動の中に有機的に位置付けていくことが必要だと考えます。県は「新世紀教育計画」の中で「地域と共に歩む学校づくりの推進」を掲げております。本町においても「新世紀教育計画」の視点にたち・・・改革に対応した教育の推進を図ることを基本方針として示しております。国における各種審議会の答申内容を見てみると、おおよそ「各学校は、教育目標や教育計画等を保護者や地域住民に説明する」ことを求めております。また、「学校評議員制」の導入等も、教育現場にも混乱をきたすことない、よりよい教育活動のシステムとして機能させることが必要です。その為にも、町の教育方針の充分な検討と方針に基づいた実直な活動の展開が望まれます。
地域における教育活動の展開についてですが、まず、地域における人材の発掘と指導者の養成が必要だと考えます。活動を担う人材の確保に当たっては、活動を熱心に支える特定の人達や偶発的な出来事だけに頼るのではなく、活動を恒常・普遍化していくための仕組みを整備することが大切だと考えます。このため、地域活動の指導者や協力者等の地域の人材や自主団体を登録するなどデータ・ベースを構築し、インターネットや広報活動を通じ、情報交換や協力関係を築き上げれる仕組みを作ることが必要です。また、それらの活動に対しての社会的評価を高めていくことも大切です。一生懸命事を成す人が苦労ばかりを重ねていては、まちづくりの根幹を支えていく人材は育っていかないと考えるからです。また、地域において青少年の活躍の場をいかに作り出すかといった点も大切だと考えます。様々な活動に子供達をただ参加させるのではなく、まちの事業やイベントの企画や実施に際して、青少年の主体性が確保される状態において、任せれるべきところは任せてみる必要も感じるのです。例えば、中学生の海外研修の企画・運営など青年層に考える機会を提供してはと思うのです。人は様々な実践的活動において、より多くの事柄を実感的学びとれるものだと考えます。いずれにしても地域に潜在する教育力を有効的に活用できるシステムの構築が望まれます。
教育の課題に対して、矢継ぎ早に様々な答申や提言がなされる中で、前段でも申し上げましたが、いかにそれらを「有機的」に結びつけ機能させていくかが重要だと考えます。断片的な施策はその場面においては有効であっても全体を見ると効果の薄いものであったり、全体を見通した施策であっても現場においては機能していない事もあると思います。行政の評価は、目的としての行政と、結果としての行政の2面がいつも問われなければなりません。そこで必要なことは、明確な指針とやりきる実行力とそれに対する分析力だと考えます。これらを着実に実践することにより、地域における力量もつくだろうし、可能性も生まれてくることと思います。言葉をかえればいかに地域素材を開拓し耕すかということだと思います。
<提案と考え方について>
1.地域における生涯学習の体系イメージ
具体的な姿を把握していくために、学ぶ人・学ぶ場・学ぶ内容のそれぞれの側面から検討することが必要だと考えます。学ぶ人は発達段階によって乳幼児・少年・青年・壮年・高齢者に分け、学ぶ場を家庭・学校・社会とし、学ぶ内容を(知識の習得・職業技術・研究活動)専門的教育、(生活の質の向上に関わる趣味・手習いなど)教養的教育、(社会の連帯性・人間関係)コミュニティー教育等としていき「人・場所・内容」が総合的に把握できる状態を築くことが大切だと考えます。
2.情報の共有化として
企業、商工会、自立経営農業振興会、NPO(ボランティア)団体、各種サークル、体育協会、文化協会などが持っている活動内容の情報を一元化を図り交流の可能性を引き出す。その上で、生涯学習の拠点と成り得る施設にはパソコンの整備を図りインターネットでも情報の取得や交流が図れるようにする。