自治を考えるP-1「地域を根っこから活性化させるために」

平成14年度末の国・地方を合わせた長期債務残高は、693兆円程度に上がると見込まれている。しかし、これだけの行政経費を費やしても、実感的に幸せを感じ取れない人が増えていると言う。私達は、先人の苦労のお蔭で現在の豊かさを手に入れました。しかし、それに起因する弊害も多く現れているのも現実です。
いつの時代も「真に豊な地域社会の実現」は、多くの人の共通の願いだと考える。そして現在、社会の行方を心配する人は増えてきたと言われる中、具体的行動をもって改善に取り組む人は少ないと嘆く人もいる。私は、今一度地域の在り方を捉え返し、立て直していく必要を感じています。
かつて、生活に必要な共同システムは地域の人々の集団作業であり、農村型社会ではそれが目に見えるかたちで行われていた。都市型社会が発達し、それらが実感しにくくなってくると、住民は地域の共同社会に関心がなくなってきた。たまに災害が起こり、都市装置が働かなくなって初めて共同社会の存在に気づくぐらいだとも言われている。このように共同体・共同システム(互いの苦労や幸せ・権利や義務)が目に見えなくなると、人々の欲求は無限に広がり、やがて資源・財源は底をつく。それらの問題は他人任せにしていると解決はできない。住民自らが責任を負うことが必要で、都市生活を営みつつ、見えなくなっている地域共同体を見えるかたちにしていくのが、現代の「自治体」の課題であると考える。
人間とは本質的に集団の中で共同して生活しないと生きられない生物である。集団生活によって、知識の共有や文化の蓄積などができ、一人ひとりのもつ以上の力を発揮してきた。これが基礎自治体の起源である。集団の構成員たちは、それなりのルールに従い、自分たちで集団を維持し、その利点を活かそうとする「自治」の心がある者の集団で、それは「共同体」であると同時に「協働体」であった。かつて地域には、自分たちの手で地域を守り育てていく、仕組みや組織がしっかりしていたように思う。例えば、親睦機能(住民相互の連絡・運動会・祭り・慶弔等)共同防衛機能(防災・防犯・防火等)環境整備機能(下水・街灯・道路の維持、草刈等)行政補助機能(行政連絡・募金等)福祉機能(子育て・介護)教育機能(子供会、青年団)などである。これらを営んでいくにあたっては、各人・各世代間の役割や存在意義もはっきりしており、相互扶助なしには執り行えなかったと考える。人が機能し地域も機能するシステムである。
行政の基本は住民サービスであって、住民の期待にこたえてあらゆることを行なうのが良いとされてきた。あらゆることに行政が手を伸ばした結果、地域の「自主性」や「連帯感」「人間関係」も薄れさせてきた弊害も感じる。コミュニティーを構成してきた機能や各種団体などの衰退も1つである。
豊田町の町史にはこんな記述がある。明治期の学校は、学校そのものも村人たちが出したお金で建てられた。受益者負担の原則で貫かれていて、その精神は「学費およびその衣食の用に至るまで、多く官に依頼し、これに給するに非ざれば学ばざる事と思ひ、一生を自棄するもの少なからず」と言う言葉に表われているように、学校の建築費も教員の給料も、すべて村人の肩に掛かっていた。それでも、むらびとたちが「いい学校を作ろう」と努力したのは、当時の人達が「村づくりの基礎は教育にある」と考えたからである。「自分たちの学校は自分たちで作る」といった意気込みがあった。西ノ島学校の場合、村人の「縄ない資金」や「寄付金」によって、5,000円ほどの資金を集め、森本の大工さんを東京や大阪に派遣し洋風建築の技術を学ばせ、洋風3階建ての校舎を完成させ、以後、西ノ島学校は、見附学校、坊中学校とともに「遠州3大学校」とうたわれた。

私は、21世紀を切り開く自治を考える上で課題を7つの視点で捉えてみた。
1点目は、地域の誇りと自信の喪失です。
よく「だで、ダメだだい」「そりゃムリだら」と言う事を耳する。地域の人々が自らの地域に誇りと自信を持ち個性的で豊かな地域の文化を創造してゆくことができなくなることは、結局国全体を貧しくさせる。
2点目は、住民不在と市民のやる気の抑圧です。
山本五十六が言った言葉に「やってみせ,言ってきかせて,させてみせ,ほめてやらねば,人は動かじ」人の活用と評価が大事だと考えている。「住民が主役であり住民参加が大切」という言葉は、何度となく聞くが企画や実践にどれほどの人が本気になって取り組めるようになっているのだろう。審議会等自も形骸化しているようにも思える。住民の顔のみえる自治体づくりが大切。
3点目は、非弾力性と対応の遅れです。
行政の公平性・中立性に基づいたものだけでは、賄いきれなくなっている。NPOに期待が寄せられるのもこうした要因がある。
4点目は、総合性を欠いた縦割り行政です。
施策は、国?都道府県?市町村の流れで、各担当部門の系列を通じて実行される。その実態は各省庁各局各課の縦割り施策であり、それらが相互に関係なくそれぞれの縦割り系列を通じて実行されるから、自治体内部でも縦割りの行政になる。これでは地域に合った施策を取捨選択して統合化することなどできない。それができるのは個々の基礎自治体だけである。町には、町の将来をかたちづくる為に総合計画を基本とし各種の計画が存在します。例えば、エンゼルプラン・高齢者保健福祉計画・障害者計画・地域情報化計画などです。これらの計画の中で重複した内容もあったりする。全国画一のマニュアルによる施策は短期間に一定の水準に引き上げるのにはよい方法だが、その代わり地域の個別的な事情は無視される。成熟した社会では地域固有の文化・自然に相応しい方法を発見していくことが望ましい。
5点目は、依存体質の助長です。
戦後の日本の自治体は何でも中央に頼ってきた(権限・財源を握られていることも事実であるが)。このような中央依存体質では国民は国に対する要求だけが強くなり、また議員も国から金を取ってくることのみを誇りとしてきた。だが国の金とは国民が負担するものであり、無限に要求に応えられるはずもない。要求するだけでなく、住民自らが知恵を働かせ努力できる体制をつくることが大事である。
6点目は住民自治のインセンティブ(刺激)が働きにくい仕組みです。
自治体は、護送船団方式の下にあり、例えば、個々の自治体の財源の増加・減収は、地方交付税制度で補填され、自治体サービスの水準と財源のバランスが取れなくても直接的に住民負担となって跳ね返ってくるシステムではなかった。これからは、適正サービスと過剰サービスの判断とセーフティーネットのバランスがこれからとても大切になる。
7点目は、地域経営の時代です。
これからの地域は、巨費を投じて物をつくればよいという時代ではない。存来からの自然を生かした、「まち」というトータルな生活空間とシステム全体の使い方=地域経営が重要である。「経営とは」→「人」「物」「カネ」を有効活用し、社会に対して新たな価値を生み出すものである。今、住民の豊な暮らしを保障していく上でも、地域経営の新たな戦略・戦術が問われている。
今後、社会はいろいろな面で大きな変革が求められていくと思う。その中で、「財政状況と行政サービスの隙間をどのように埋めていくか」「少子・高齢化社会での地域課題の具体的解決方法の模索」「広域化の中で確かな自治力をもった地域の育成」「住民の速やかな意見集約の場の創出」「地域を担う人材の育成」「地域を根っこから活性化させる仕組みづくり」などを具体的に施策として組み立てていくことが大切だと考える。
そこで、具体的4つの提案を考えています。

(1)自治会・自治区に権限・財源の付託を
・地方分権社会となった今、国・県・市町村の関係のあり方も改善されてきている。かつて「こんなことまで任せたら」という心配のもと、権限・財源の委譲も進まなかった。しかし、今はむしろ自己決定・自己責任のもと自立した地域社会づくりが基本的な目標となっている。
(2)ガンバルマン・団体支援・評価システム
・一生懸命ことを成す人が苦労ばかりを重ねていては、町づくりの根幹を支えていく人材は育っていかないと考えるからです。
(3)アドプト制度(地域里親制度)の導入
●アドプト制度の仕組み
・アドプトは、参加団体の活動する区域を特定(養子)し、養子縁組の形態をとることにより、清掃・美化作業の活動の対象区域に対し思い入れを深くしていく仕組みを持つ。この区域への思い入れや愛着が清掃・美化作業等の原動力や持続力へとつながっていくことが特徴である。
・本来の養子縁組制度は、他人の子を法律に基づき養子として迎え、新たな親子関係を結ぶことであるが、そこには子供に対する深い愛情といつくしみが存在する。
・この関係をアドプト制度は、公共施設と参加ボランティアとの関係になぞらえて気持ちの上で認識し、より一層愛着と責任をもって実施していく制度である。
●住民等と行政との協働作業
・参加団体(住民、企業、団体等)と行政が協力し合い、それぞれの役割を果たしながら活動を進める。参加団体は清掃作業などのボランティア活動を担い、行政は清掃作業後のゴミの回収や清掃作業時の万一のための傷害保険への加入等、活動に必要な支援を行う。
●参加団体と行政におけるボランティア活動の合意(約束)
・ある一定期間、持続的な美化活動を行うため、行政と参加団体において役割分担を明確にして合意書(約束)を結ぶ。アドプトの場合、参加は自由であるが活動に対しては、実施回数や役割分担等の参加要件について行政との合意が必要である。即ち、アドプトは活動に対して、軽易ではあるが責任を課すことにより、持続力や責任感の高揚につながることを期待している。
●表示板の設置
・アドプトを行っていることを示すサインとして参加団体の名称を印した表示板を行政等の実施主体が設置する。表示板の掲出により、活動に対し愛情と責任が生まれ持続力を生み出す要因となっている。また、これを掲げることによって「自分たちの町を自分たちできれいにしているのだ」という誇りが芽生え、清掃作業への意欲がさらに高まり活動の励みとなる。
・通常のボランティア活動においても、活動を通し精神的な自己実現や生きがい等の充足感が原動力や励みになっている。アドプトは、これに加えて活動区域に表示板等が設置されることにより、ふれあいの場のシンボルとなり参加団体の連帯感が生まれ、交流が始まっていくことも期待する目的の一つである。
●ボランティア活動参加への場の提供
・地域との関わりが少なかった人が、定年後にボランティア活動をしてみたいと思っても「何をしたらよいのか」、「何ができるのか」、「どこへ行けばよいのかわからない」などの理由のために、地域活動に参加するきっかけがつかめずボランティア活動を断念している場合があるのではないだろうか。
・アドプトは、行政が提供するボランティア活動の参加の場作りや機会(きっかけ)づくりとしての機能をもっていると考えられる。アドプト活動の場である公共施設は、道路、河川等は、どの地域においても存在している。
(4)総務省わがまちづくり支援事業の活用
●話し合いの場づくり
・例えば、小学校区単位程度の地域の広がりの場において、住民の方々が主体的な話し合いの機会を持ちます。この話し合いの場においては、インターネットなどを活用しての情報を集めたり、情報を提供したり、他の地域との情報の交換を行ったりすることにより、最新の情報や実際の経験をもとにして、住民の方々の間で活発な意見の交換が行われ、その地域にふさわしい意見、提案へとまとめられていくことになります。
●わがまちづくりの提案
・このような話し合いの結果を、住民の方々が「わがまちづくりの提案」としてとりまとめます。ここでは、地域福祉や子育て支援、商店街の活性化、そして伝統文化の伝承など、それぞれの地域の課題を住民が主体的に解決する取組を提案します。この「わがまちづくりの提案」には、1)住民の方々自らが行う事業、2)住民の方々と行政とが協働で(いっしょに)行う事業、3)行政に行ってもらいたい事業が含まれます。
●わがまちづくり事業とは
・「わがまちづくりの提案」のうち、1)住民の方々自らが行う事業及び2)住民の方々と行政とが協働で(いっしょに)行う事業について、住民の方々の発案を活かし、住民の方々自らが実際に取り組む事業を推進します。(1)「話し合いの場づくり」から(3)「わがまちづくり事業」を支援する市町村の事業が、「わがまちづくり支援事業」です。
●「わがまちづくり支援事業」で想定される提案・事業例
・地域子育て事業・高齢者福祉施設における交流事業・世代交流イベント・環境美化運動・防災マップづくり・安全・安心まちづくり・地域資源マップの作成・空き店舗を活用したチャレンジショップ・ものづくり体験工房・まちかどコンサート・伝統芸能踊り等伝統文化の保存など