草の根デモクラシー

1947年11月11日、13世紀に起源をもつといわれる、議会制民主主義の長い歴史を誇るイギリスにおいて、ウィストン・チャーチル保守党党首はこう演説した。「民主主義は政治にとって最悪の制度だ。ただし、それ以外のこれまでの制度はもっとわるいものばかりだ」

「民主主義」という言葉が、政治のシンボル的言葉となって以来、百家争論その良さと矛盾が交差しながら、今日なお様々な議論が続いている。

私たちの暮らしをより良きものとするために、施策の決定段階での民意の反映や執行後の適正な評価など、まだ現実的課題を残しながらも「民主主義」を標榜した実践は続けられていくだろう。

私は、自治とは民主主義のリアルな学びの場と考えています。「自治」とは「自分たちのことを自分たちで決めて行うこと」であり、自分たちが、自ら考え行動した以上も以下も結果としては現れないのが現実だと思います。「より良く」という言葉を1つのキワードとするならば、私たちは「学び続け・実践し続ける」ことが大切だと考えるのです。ここで、早坂茂三氏の著書におもしろい記述があったので紹介します。

日本文化の基盤は水田稲作社会であり、私たちのご先祖様は農耕民族である。アングロサクソン流の狩猟民族、ジンギスハーンの血を引く騎馬民族ではない。雨がふんだんに降って、夏は暑い島国の風土が日本民族の在り様を決めた。大地は動かず。日本人は水辺に集落を作り、集団で自己完結型の定住社会を形成してきた。

黒澤監督の「七人の侍」は、この日本社会の源流を鮮やかに映像化している。乱世の頃、山間の村に肩を寄せ合うように暮らしていた百姓達は、悪代官に法外な年貢を取り立てられ、女房や娘が人身御供で拉致される。落ち武者、野伏りに襲われ、収穫物は奪われる。雨や日照りの被害もあり、いつも気の休まる暇はない。そんな村に野伏りの襲来の知らせが届く。老いも若きも、男も女も対応策の相談だ。運命共同体の生き残り策は何か。村の肝煎り衆が司会を務め、百家争鳴の議論である。草の根デモクラシーの原型だ。メンバーが全員が参加して、年齢・男女の区別なく知恵を絞り、時間をかけて衆議する。こんなシステムが日本のあらゆる村に存在した。

しかし、今回の野伏りは2、30人規模である。これだけ大勢の襲撃は経験がない。なかなかいい知恵が浮かばない。「じさまのところに行くべ。おらたちじゃ、いい知恵が出ねえ」じさまは死線を乗り越え、幾多の修羅場を潜り抜けてきた経験の固まりである。狩猟民族や騎馬民族の年寄りは、足腰の立たない厄介者だ。定住民族とって年寄りは、まさかの時のよろず相談所である。貴重この上もない。年寄りが幅をきかす日本の原図である。「腹の減った痩せ浪人を探せ。そいつらに飯をたらふく食わせて、村を守らせろ」じさまのご託宣である。

「醇朴な農民」というのは、人間の片側しか知らない言葉かもしれない。百姓たちは見事にしたたかだ。代官の目を逃れた隠し田んぼがある。飢餓の危険に備えて米、麦、ヒエ、アワを注意深く貯蔵している。落ち武者の鎧、兜、刀、槍、弓矢、具足の果てまでしまい込んでいる。いつでもカネに替えれるからだ。これが生きるため身につけた知恵だ。

戦い済んで日が暮れて、村に平和がよみがえった。代償は4人の侍の死である。村人たちは太鼓を叩き、笛を吹き、一家総出で刈り入れに励んでいる。この風景を横に見て、生き残った侍がしみじみとつぶやく「こんどもわれわれ侍の負けだ。惜しい男を4人も死なせた。勝ったのは百姓だ。侍は風だ。百姓は大地だ。大地はいつまでも残る・・・」

日本社会の今に続く集団行動、相互互助社会、草の根民主主義を凝縮した作品である。用済みの政治家は次々と消え去り、大衆はしぶとく生き残る現実を活写している。

(早坂 茂三 著 「意志あれば道あり」より)